THINK MOMENT

生きる意味を模索し続けてきたからこそ、
いま目に映る世界

Wheelchair rugby player池 透暢

車いすラグビー日本代表として、輝かしい活躍を続けてきた池 透暢(ゆきのぶ)。
19歳の時の交通事故で、身体の7割以上に火傷を負い左脚を切断。左腕には麻痺が残る。
不条理とも言える状況の中、屈強な相手にも怯まず挑戦を重ね、
自ら人生を好転させてきた彼は、どのようにラグビーや人生と向き合っているのか。

01

苦悩を乗り越え、掴んだ“世界”

不条理とも言える状況の中、亡くした友人のためにも何かを残したいと始めたスポーツ。
どんな生き方ができるかを模索する中で選んだ車いすラグビーへの道。
そこには、池透暢が世界で戦う選手になるまでの苦悩の道のりがあった。

交通事故に遭い、何もできなくなってしまった自分に自信が持てなくなりました。とにかく辛かった。でも、「亡くなった友人のために這ってでも生き抜き、何かを成し遂げなければならない。前に進むしかない」と思いました。目の前に広がる嫌なことや、やりたくてもできないことは沢山ありましたが、歯を食いしばってやっていくうちに、歩みは遅いかもしれないけれど、少しづつできることが増えていきました。

「僕にもできるものがあるなら」と、入院中に紹介された車いすバスケットボールを始めました。競技を続けている中で、弱りきったと感じていた左腕の成長を実感することができ、努力を積み重ねることで自分でも知らなかった可能性に気づくこともできました。しかし、麻痺が残る左腕を酷使したことで、3年間に渡って疲労骨折に悩まされ、やっと日本代表候補になった矢先に足の付け根に動脈瘤が見つかりました。今まで40回を超える手術を経験してきて、それでもなお競技から離れなくてはならない現実は、大きな絶望でした。

そんな時、2012年にロンドンで行われたパラリンピックの車いすラグビーを観ていて、「自分が入ればこのチームを勝利へ導くことができるのではないか」と強く思ったのです。

車いすバスケットボール選手の自分を応援してくれた人たちへの申し訳なさを感じつつも、「絶対に飛躍的な活躍を魅せてメダルを獲る」という思いで車いすラグビーへと転向しました。車いすバスケットボールで身に付けたチェアワークの技術を生かし、より障がいの状態が近い選手同士で競い合える車いすラグビーで世界を目指すため練習を重ねました。長い時間をかけて積み重ねたそれまでの努力が実を結び、車いすラグビーに転向後すぐに日本代表選手に選ばれてからは、これまでの経験が自信へと変わっていきました。

東京パラリンピックで銅メダルを獲得するまでの道のりは決して簡単ではなかったですが、長年にわたる苦労や努力がついに花開き、スポーツを始めた時に思い描いていたことを実現した時の感動は凄まじく、魂が震え上がるような感覚がありました。心の中が激しく揺れ動き、それは人生で初めて味わうような、感動に満ちた瞬間でした。

02

役割と向き合い続けることで拓けた道

車いすラグビー日本代表のキャプテンを務め、東京パラリンピックでは銅メダルを獲得。
輝かしい活躍と成績を残す一方で、池は「難しい挑戦も続けていた」と語る。

日本代表のキャプテンを務める立場になったことは、自分にとって難しい挑戦でもありました。それは中学生の頃の部活で、キャプテンとしてチームを上手くまとめられなかったトラウマが残っていたからです。ましてや日本代表のキャプテンとして求められる役割に自信はありませんでしたが、過去の自分を超え、チームを勝利へと導くためにも、キャプテンになる決意を固めました。

長年にわたってキャプテンを務めてきましたが、東京パラリンピックでは金メダルには届きませんでした。チームを率いて勝つという強い意志を持ち、勝負を決定づける場面で選んだプレーは相手に動きを読まれてしまったのです。自分がプレイヤーとして目の前の状況を覆せなかった悔しさはもちろんですが、次こそチームを勝利へ導くために、自分らしいキャプテンのあり方を模索しています。

チームの力を最大限発揮するために、各選手の良い部分を生かしながら、お互いを認め合い、手を繋いでいけるようなチームを作っていきたいと考えています。そのためには、常に仲間の心を捉えられるようなキャプテンでいることが重要だと思っています。

日本代表になり、キャプテンになるまでの僕は、人と比べっぱなしの人生でした。事故を経験し、一命はとりとめたものの、身体が不自由になってからは「これからどう生きていくのか」ということに本気で悩みました。辛い経験を乗り越えるのには時間がかかったけれど、そこから得られた気づきもあります。そうやって年齢を重ねていくうちに、自分の心が溶けていくような感覚になり、物事を柔軟に捉えられるようになりました。与えられた役割と向き合い続けることが自分自身やチームの成長へと繋がり、成功への道を拓くことができると学びました。

03

自分の気づきを与え、仲間が成長する瞬間

池は個人としての技術を高めるため、自分自身と向き合いながらトレーニングを重ね、
屈強な体とチェアワーク、世界トップレベルの的確なパス回しを磨いてきた。
数々の経験を経た今、個人の成長への意識は、仲間が成長する喜びへと変化している。

東京パラリンピックを迎えるまでは、一人で練習をすることがほとんどでした。僕は世界の車いすラグビープレイヤーの中でも座面が高い車いすに乗っているので、タックルされた時に転びやすい特徴があるんです。なので、重心のバランスを崩さないように意識しながらプレーできるような練習を組んでいます。様々な練習方法がありますが、運動公園では坂道に落ちた枝や落ち葉を腰の動きだけで車いすをコントロールし、避けながら坂を下ることで、咄嗟に相手を避ける練習をしています。体育館では、マーカーを近距離に置いて細かく俊敏にドリブルをする練習や、大きなタイヤの中に重しを入れて負荷をかけながら車いすで押したり、ラグビーボールの壁打ちなどあらゆる練習を行います。僕にとって一人で練習を行うことは、自分と向き合い考えを整理する大切な時間であり、選手としての真となる時間です。

これまでは、一人の選手としてメダルを獲るためにエネルギーを注ぎ込んでいた数年間だった一方で、東京パラリンピックを終えて、少しずつ心境に変化が生まれてきているなと感じます。この一年で他の選手と向き合う時間が増えたこともあり、今では未来の選手を作っていくヘッドコーチの立場として、自分よりもチームの仲間を大切にしていきたいという気持ちが芽生えてきています。

周りのみんなの笑顔を見れることは、自分が楽しいと思える瞬間でもあります。パラリンピックを見て車いすラグビーを始めたいという人が出てくることもそうですし、始めたばかりの選手が少しずつ上手くなっていく瞬間を目の前で見られることはとても嬉しいですね。今は、自分が気づきを与えることで仲間が成長する瞬間に幸せを感じています。

こうして仲間と関わることで自分自身の気づきも拡大し、さらに社会の課題などについて考え、発信していかなければならないと思うようになりました。今では影響力のある立場になってきたと思うからこそ、当事者としてどうすればより良い社会へと改善していけるかについて考える機会が増えました。今後は車いすラグビーの普及活動だけでなく、自分たちが社会に貢献できることは何なのかを考えながら、挑戦していきたいですね。

04

自然との対峙の中で見据える未来

日々競技や人生と向き合う一方で、時折小さい頃から慣れ親しんだ海を訪れ、想いを馳せる。苦境を乗り越え、トップアスリートとして世界と戦ってきた彼にとって、自然と対峙する時間は今の自分と向き合う大切な時間でもある。

小さい頃から、自然と対峙する時間は多かったですね。海からすぐの場所に住んでいたので、兄弟や友達と砂浜で走り回って遊んだり、自然と触れ合うことが多かったです。一方で、祖父が海の事故で亡くなってしまったこともあり、自然の中には脅威が潜んでいるということも肌で感じていました。車いすで生活をしている僕にとって、大きな震災が起きた時には自分が周りに迷惑をかけるかもしれないという後ろめたさもあります。自然というものは、自分にとって脅威でもあり、時には対策を取らなければいけない存在でもあります。

そんな存在でありながらも、大会が終わった後や忙しくて行き詰まった時は、釣りに出かけます。夜、竿を投げて着底するまでのシーンとした時間がすごく好きです。止まった風景に癒される瞬間が多いですね。一人になる時間が自分をリセットしてくれると同時に、自分を奮起させることにも繋がります。自然を目の前にすると、悩みがあったとしても見えないほど小さなことのように思える瞬間があります。心が乱れてしまっている時にも、自分とどう向き合えばいいのか、その答えを教えてくれているような気がするのです。

そうして自然と対峙する中で、今までとは違った視点で自分自身と向き合えるようになりました。今背負っている役割を見つめ直し、これからの人生に向けて新たな可能性を模索する必要性を感じますし、残された人生の中で見に行きたい景色がもっと沢山あるような気がしています。そのためには、競技以外の世界で学んでいくことに意欲を注いだり、挑戦をしていかなければならないという風に、自然を見ていると思いますね。

「逃げなければ道は拓ける」ということを体現してきた池透暢。
苦境を乗り越え、自ら人生を好転させてきた彼の生き様や物事との向き合い方は、
これからも多くの人を勇気づけていくだろう。

Credits -
  • PHOTOTAKASHI KAWASHIMA
  • TEXTYUKARI FUJII
  • DATE2023.3
Wheelchair rugby player

池 透暢 Yukinobu Ike

1980年⽣まれ、⾼知県出⾝。19歳での交通事故をきっかけに⾞いす⽣活を始める。32歳より⾞いすラグビーを始め、⾼知のクラブチームFreedomでプレー。34歳で⽇本代表キャプテンに就任。2016年リオデジャネイロ⼤会では銅メダルを獲得し、2018年の世界選⼿権優勝に貢献。2020年東京⼤会では銅メダルを獲得。次回2024年のパリ⼤会では⾦メダルを⽬指す。