THINK MOMENT

瞬間の美しさへの飽くなき探求

Ballerina本島美和

2011年からはプリンシパルとして新国立劇場バレエ団で数々の作品の主役、ソリスト役を演じ、
その美しい佇まいは、多くの人を魅了するだけではなく、
バレエを志す少女たちにとっては憧れの存在でもある。
日本を代表するダンサーである彼女はどのようにバレエと向き合っているのか。

01

子供ながらに感じた、舞台の上でしか感じられない特別な空気や高揚感は今でも覚えています

バレエに心を掴まれた、好奇心旺盛な幼少期。舞台に上がるダンサーだけが感じることができる、高揚感や踊ることの楽しみから、徐々にプロの道へと進んでいった。

6歳の時に、いとこと文通をしていたのですが、その中でバレリーナの絵が描かれたお手紙をくれて、その時にバレエの存在を知りました。そこから、母にバレエを習いたいと相談しましたが、私のなんでもやりたがる性格を知っていたので、最初は反対されました。それでも絶対にバレエを習いたいと思っていたので、近所のバレエ教室の電話番号を書き取った紙を母に渡し、どうしてもやりたいという熱意を伝えました。そうすると、さすがの母も納得をして、教室に通わせてくれるようになりました。

はじめは、週に1度くらいのお稽古で、踊る楽しみを学ぶという環境でしたが、子供ながらに感じた、舞台の上でしか感じられない特別な空気や高揚感は今でも覚えています。それから3年くらい経って、たまたま観に行った『くるみ割り人形』の公演で踊っていた子役達を見て、バレエにはこんな世界もあるということを知りました。自分がやっているものとは明らかに違っていて、どうせ踊るなら、こっちの世界で踊りたいと思いました。

その思いを、当時通っていたバレエの先生に相談し、紹介してもらったのが豊川美惠子先生のお教室でした。移った当初、週3回、週4回とお稽古の回数もどんどん増えていきましたが、『バレエの稽古を続けたい、色々な舞台に立ちたい』という思いで、毎日を楽しく過ごしていました。

02

バレエにおける美しさは、容姿の綺麗さや、技術を超えた部分にもある

より舞台に近い環境を目指して移った豊川美恵子エコール・ド・バレエ。
そこでは、ディテールにこだわることの大切さを学び、プロになるという将来のビジョンを明確にしていった。

豊川先生の教室に通うようになった当初は、まだプロのバレリーナとして活躍したいというビジョンはありませんでした。ただ、舞台と学校での生活のバランスを取るのが難しくなってきたので、中学3年生の時に、元々通っていた小中高一貫の私立の学校を辞めて、公立の学校を受験することにしました。ちょうどそのタイミングで、豊川先生の師匠にあたる、牧阿佐美先生という方から、『大学に行くのか、バレエ団に入団するのか決めておきなさいと』言われました。中学生にとって、2、3年というのはあっという間で、その瞬間だけで精一杯でしたが、高校だけ卒業しておけば、幾つになっても大学は入ることができると思い、バレエ団に入団すると決断しました。

それでも、日々のレッスンはとても大変で、同い年くらいの子が10人はいたんですが、みんなとても上手でショックを受けました。やることはすごく難しいし、新しいことがいっぱいで、覚えるのも大変でした。特に豊川先生はディテールやポジションに特に厳しい方で、ステージに出てから踊り出すまでの間の歩き方やポーズの取り方などを、とても時間をかけて教えてくださいました。妥協を全くしないので、自分は本当は技の練習をしたかったのに、歩き方の注意だけで1時間のソロ練習の大半が終わってしまうこともよくありました。

ただ、舞台に出る瞬間というのはとても重要で、踊る前のほんの数秒で、そのバレリーナの資質を決定付けます。今は私も指導者として、若い人たちの育成をしていますが、ふと気づくと、豊川先生と同じことを生徒に要求しています。けれど、それだけ追求されたからこそ、今の自分があると思うし、そこを自分の生徒にも追求して欲しい思っています。今になって分かるのは、バレエにおける美しさは、容姿の綺麗さや、技術を超えた部分にもあるということです。舞台だけでしか見ることのできない、言葉を超えた美しい瞬間があるんです。稽古場ではイマイチだった子の方が、舞台ではとびっきり輝く人もいます。この舞台だけで生まれるこの輝きを、言葉では言い表すことはできませんが、今もそれを探求しています。

03

あらかじめ用意されているものだけを演じてしまうと、
リアルさが欠けてしまう

舞台には、あらかじめ決められた振り付けがある一方で、その日の公演、あるいは瞬間ごとに全く違うものにもなる可能性を秘めている。本島はこうした瞬間とどのように向き合っているのか。

バレエの舞台は、振付師の人が内容を決めるので、その人の求めることをいかにくみ取るのかということが重要です。しかし、公演になると、連日に渡って同じ演目を上映する場合が多いので、あらかじめ用意されているものだけを演じてしまうと、リアルさが欠けてしまいます。そうならないために、同じ役柄であっても、1回の公演ごとに、演じている最中に思うことや、振り付けのディティールなど、僅かな瞬間に微妙な変化をつけることで、常に自分の中で新鮮な状態を保つようにしています。

また、何かしらの変化を日々の舞台に加えることで、自分やパートナーのその日の調子やを掴むこともできます。
ただ、それを決して口にすることはなく、踊る中でお互いがせめぎ合うようなコミュニケーションを取ってて、お互いが調子が良ければ、即興的なアイデアをたくさん取り込みます。

それ以外でも、作品の音楽を演奏するオーケストラの指揮者や、その日その日のお客さんとも、会場の空気のような瞬間ごとの間を感じられる瞬間があり、いろいろな要素が組み合わさってその日の舞台ができています。

ただ、振り付けを覚える時には、舞台との時とは全く逆で、一度自分がやりたいと思ったことをすべて否定するところから始めています。最初は色々なアイデアが出てくるんですが、それをやる理由や必要性を考えてながら否定し続け、自分を追い詰めていくと、この曲には絶対このフリしかないというものが残るので、それだけを舞台に取り入れています。

04

どうしてバレエにここまで魅了され、
囚われているのかということを、いつも考えています

バレエを語る本島の言葉は、控えめでありながらも、誠実な想いに満ちていた。彼女のバレエに対する探求は、これからも続いていく。

バレエを始めて30年以上たちますが、今でもどうしてバレエにここまで魅了され、囚われているのかということを、いつも考えています。そうしていることが自分の生活の一部になっていて、今の環境にあるのも、周りにいる人たちに恵まれていたからで、本当に運がいいと思っています。新国立劇場が建設中だった時に、家族で前を通り過ぎて、母が『いつかはこんなところで踊れたらいいね』と言っていたのに対して、私は『そんなわけがない』と言っていたのですが、オーディションを受ける時に先生に『高い目標を持たなければそれよりも低いゴールも叶えることもできない』と言われ、そのおかげで私は今、プリンシパルとして舞台に立っています。

自分もこれから活躍していく子供達の後押しをしたいと思い、いつか浅草バレエスタジオで海外公演をするという夢を持っています。国内外のバレエ団で活躍するダンサーは、年月を重ねれば1人か2人は必ずでてくるけど、スタジオに所属するダンサー全員のレベルを高くしたい。そして自分自身もまた表現者として世界で挑戦し続けていきたいです。これから先、何十年かかるかわからない目標ですが、いつまでもバレエに携わっていきたいと思っています。

表現することを通じて、バレエに真摯に向き合い続ける本島美和。
そのしなやかな演技や柔らかい言葉の裏には、舞台に立つものだけが感じ取ることができる瞬間の
美しさへの飽くなき探求の想いが込められていた。

Credits -
  • Interview date2019.7
Ballerina

本島 美和 Miwa Motojima

DANSKINアドバイザリー契約。6歳からクラシックバレエを始め、牧阿佐美、三谷恭三、豊川美恵子、ゆうきみほに師事する。
21歳で日本初の国立バレエ団を有する新国立劇場にソリストとして入団。2011年にプリンシパルに昇格。
しなやかな肢体と美しい容姿、華やかな存在感で、バレエの舞台だけではなく、映像の世界でも高い評価を得ている。